速水御舟(1894年〜1935年)は40年という短い生涯を日本画の創造に捧げ、常に挑戦者であり続けた人でした。
「梯子の頂点に登る勇気は貴い。更にそこから降りて来て、再び登り返す勇気を持つ者は更に貴い。大抵は一度登ればそれで安心してしまう。そこで腰を据えてしまう者が多い。登り得る勇気を持つ者よりも、更に降り得る勇気を持つ者は、真に強い力の把持者である。(「美術評論」昭和10年4月号)
短いサイクルで新たな境地に挑み、大きな変化を繰り返した御舟を象徴する言葉です。「洛北修学院村」「京の舞妓」「鍋島の皿に柘榴」「炎舞」「翠苔緑芝」「名樹散椿」…それぞれが代表作と呼べるような、時代を先駆けた驚異的な作品を残しました。
義兄の吉田幸三郎は、大正8年に足を切断した御舟のエピソードをこう語っています。
「浅草駒形で電車と自動車に挟まれて、片足を無くしてしまったのです。この時の話が、速水の気丈さをよく示しています。速水はとっさの瞬間、「自動車なら頭をやられる、電車なら足だ。」そう判断して、電車のほうにひかれたと言うんです。しばらくして意識が戻ると、電車が沢山並んで止まっている。そこで「足をひかれただけだから電車を動かしてください。お客さんがみんな迷惑するから。」と言って、また意識を失っちゃった。これなど我々凡人には、とても真似のできない芸当だろうとつくづく感心しました。
こうして片足を無くしたんですが、義足になっても、そのことを少しも感じさせませんでした。一緒に旅行して高い石段とか険しい道を登らなければならないときなど、我々は行ったつもりにして帰って来ますが、速水は義足を踏ん張って登って行くんです。同行の我々は、不自由な体で苦しかろうと察して、よせばいいのにと思うのですが、速水の頑張り、気迫を見ていると口に出せない。(中略)
要するに、自分自身に非常に厳しい男だったと言えると思います。そのことは、絵にも制作態度にも共通していました。とにかく、妥協するということを知らない。自分の生活をとことん突き詰めて、納得がいくまで追求していった。全く速水の厳格な態度には、本当に頭の下がる思いです。」(「速水御舟 作品と素描」光村図書」)
御舟の性質がよく現れているエピソードだと思いますが、弥夫人が「自分には厳しく他人には寛大で、私たち(家族)は一度も怒られたことがなかった」と語っていたように、彼は鋭い感性と芯の強さを持ちながらも、家族や仲間にはとても優しかったようで、人のあらを絶対に言わなかったそうです。下手な絵を持って来ても実によく面倒を見て、話が面白く、人の話も熱心に聞いたので、家はいつも客人で賑わっていたといいます。
驚異的なのは作品だけでなく、その人柄も特筆すべき稀有な人物…そんな御舟について書きたいことはたくさんありますが
もう一つ、写生について弟子であった吉田善彦(日本画家)に語ったとされる、私の好きな御舟の言葉をご紹介したいと思います。
「例えば椿を描く時に、それを納得するまで写生するのは、ただ外形を写すのではなく、椿というものが創造の神によって創られているその椿ならではの仕組みをその表から裏まで解剖して、幹はどう、枝はそこからどう伸び、葉はどうなっているのかを、それぞれ明確に写し取りながら完全にその総てを記憶することが肝要なのだ。それには一カ月写生にかけてもかまわない。そして総ての仕組みとそれをあらゆる角度から見た時の形にまで精通し記憶したら、今度は写生などを手許に置かず、紙や絹を張ったところを宇宙と考えて、自分が創造の神になったつもりで、自由にのびのびと自分の椿を好きなように描いていくのだ。一度記憶の中で育むと、不必要なものは消滅し、美しいものは自ら誇張されて、その椿は実物とは異なった絵そのものとなって美しく画面の上に蘇るのだ。」
“紙や絹を張ったところを宇宙と考えて、自分が創造の神になったつもりで、自由にのびのびと自分の椿を好きなように描いていくのだ”
良いですね〜〜
そのように描かれたものはきっと生き生きと輝くような命を持つのだろうと想像が膨らみます。
植物や虫、生物の仕組みを頭と体に染み込ませるようにとことん写生をした御舟。亡くなる2年ほど前に、残すものを仕分けして自ら夥しい数の素描を燃やしたようです。
本作「鶯」は御舟が残した1枚ですが、昭和4年作の「鶯」の写生です。
昭和期の美術品で最初に重要文化財に指定された《名樹散椿》を制作した年ですね。
嘴や足などは細い毛筆の鋭い線で、そして羽毛に覆われたふっくらと柔らかな姿が丁寧に描かれています。
速水御舟《鶯》素描 42.0×46.5㎝ 彩色・紙 昭和4年 速水弥鑑定
そして下部にある文字ですが
燕雀類中うぐいす科に属する鳥
形めじろに似て肥え体色背部
緑褐色にして腹部灰白色也
嘴は細くして尖る 気管の分岐部
に鳴管を有し声極めて美…
といったように、鶯の羽の色などの特徴がしっかり書き込まれています。
(※因みに「鳴管」と言うのは鳥の持つ発声器官で、鳥類以外の脊椎動物は声帯を使って発声しますが、鳥はこの鳴管(気管が2本に別れる分岐点部分:下図の黄色部分)の伸縮・振動によりさえずり声を出すのだそうです。鳴管筋が発達しているほど複雑な発声ができるそう)
最後の「とどめどり においどり きょうよみどり」は鶯の別名です。
書き込まれた文字もバランスよく絵に同化し、収まっていますね。
御舟らしさを感じる品の良い素描です。
(文/青龍堂 小川)
商品情報
作家名:速水御舟 作品名:《鶯》素描 鑑定:あり 技法:速水弥鑑定 制作年:昭和4年 shopへはこちらから
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「若い頃、山種美術館で見た、速水御舟の「炎舞」が記憶に残っています。意味がわからないまま、炎🔥に舞う蝶🦋(蛾)の美しさが鮮烈なイメージとして残っています😀」 「あの絵の蛾は、すべて標本のようにこちらに羽の模様を見せているのですが、古典的な炎の描き方によって蛾が舞っているように見える不思議な絵なんです。そこも御舟の天才たる所以ですね。」
「素晴らしい方ですね❗️👌😃💕」 「コメントありがとうございます。 はい、知れば知るほど興味深い人物です。 実は悪戯好きで、よく冗談を言っては人を笑わせていたり、真面目な場面なのに笑い出すと止まらないという面白い(周囲の人は困っていたようですが)特徴もあったようです。」
FBコメントより 「そうでしたか💦 御舟が足を切断していたのですね🌧️ 知りませんでした🍀 その精神の気丈さ🍀敬服致します🍀💜🍀」 「コメントありがとうございます。 足を切断した頃から、身を削るような徹底した細密描写に移行し、有名な《京の舞妓》《菊花図屏風》…日本画の画材でよくぞここまで!という写実的な静物画も残していますね。(岸田劉生を意識していた) 私も電車に轢かれた際のエピソードを知った時は御舟の気丈さに大変驚きました。」