(四月大歌舞伎と『夏祭浪花鑑』の記事のつづきです。)
『夏祭浪花鑑』は人形浄瑠璃として1745年7月、大阪の竹本座で上演されました。
当時起きた元禄の殺人事件を元に、夏祭の風情、浪速の気概と人情を描いた物語で、当時から大人気だったそうです。
「筋書」によりますと、歌舞伎の初演は昭和22年7月、現在の築地にあった「東京劇場」(現東劇ビル)。(歌舞伎座は昭和20年の東京大空襲で焼失し、昭和26年に再建されました。)そこから毎年のように上演されています。
今回は、侠気(おとこぎ)のある団七九郎兵衛、義兄弟の契りを交わした徳兵衛の女房、お辰の二役を片岡愛之助が演じています。どちらも気っ風のいい、一本気な上方気質が魅力的でした。愛之助は生粋の上方育ちときいて納得です。上方狂言の笑いもあえて通俗的にしてあり、楽しめました。
(歌舞伎美人公式サイトより)
写真の愛之助が着ている着物ですが、俳優の家紋を大きくひとつ染め抜いていて、お祭りの時などに着る粋な柄で、「首抜き」と呼ばれるそうです。
また、背景の格子柄は、団七九郎兵衛と徳兵衛が着ていた色違いの浴衣です。男らしい柄ということで「弁慶柄」と呼ばれているそうです。この団七九郎兵衛の柄は「団七縞(だんしちじま)」と呼ばれて当時大流行したそうです。
着物の柄で季節感や人柄を表しているのですね。勉強になります。
そしていよいよ最後の「長町裏」の場面。須田剋太の作品の場面です。
「団七縞(だんしちじま)」の格子柄が須田ならではの描かれ方なのがわかります。
強欲な義理の父である義平次の執拗な侮辱に耐える団七九郎兵衛。ついにはずみで、義父を斬ってしまい、覚悟を決めます。血が流れ、泥にまみれ、だんじりの祭囃子が響き、団七九郎兵衛の高揚感が観客の本能と呼応します。血を洗い流す時に、実際の水をかぶる団七。息をのみます。
現代も殺人をテーマにした作品はなぜか人を惹きつけるものです。須田剋太の精神もこの浪花の俠客の人間の本能と呼応したのでしょうか。
(青龍堂 須田剋太「歌舞伎」)
四月大歌舞伎チケット情報
2024年4月2日(火)~26日(金)
昼の部 午前11時~夜の部 午後4時30分~【休演】10日(水)、18日(木)
劇場:歌舞伎座
作品情報
52×38.5cm
グワッシュ
須田剋太鑑定委員会鑑定書あり
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