高村光太郎と言えば智恵子抄で有名ですが、木彫やロダンの影響を受けブロンズ制作にも励みました。
父は日本の木彫の父のような存在の高村光雲です。
光太郎の「手」といえば1918年に自分の手をモデルに作った作品が国立近代美術館を含め数点あります。
今回ご紹介する作品は1953年に十和田湖畔に最期に作った「乙女の像」の手の部分です。
智恵子が亡くなったのち、晴耕雨読の生活をしていた高村光太郎が最期に智恵子の裸形を残したいと制作しました。
その時の石膏の手から光太郎没後に遺族監修のもと、10体作られたのが今回の作品です。
存在感があり立体作品なので光や場所で色々な見え方をするのも面白いです。
高村光太郎の智恵子に対する無償の愛の想いが込められているのでしょう、とっても不思議な魅力があります。
(文/青龍堂店主)
高村光太郎「手」(十和田湖畔裸婦像のための手)
H40.7㌢
1978年7月鋳造
8/10
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