現在、戦後を代表する洋画家・香月泰男(かづき やすお 1911−1974)の生誕110年 「大回顧展」が巡回中です。2022年5月29日まで栃木県の足利市美術館で開催されています。
太平洋戦争とシベリア抑留の体験を描いた「シベリア・シリーズ」全57点などの代表作が展示されています。
香月泰男《復員(タラップ)》1967年
1911年に山口で生まれた香月は東京美術学校を卒業後、国画会での入選、文部省美術展覧会で特選を受けるなど創作活動に確信を感じていましたが、その矢先に太平洋戦争が勃発。1943年に召集を受け満州に従軍し、敗戦後にシベリアに抑留されます。まともな食事も無く、零下30度にもなる劣悪な環境で重労働を強いられ、飢えと過労で仲間は次々に息たえていきました。それからおよそ2年後に帰還。故郷の山口県三隅町に戻り、50年代後半から「シベリア・シリーズ」に取り組みます。
「シベリヤのことなんか思い出したくはない。しかし、白い画布を前に絵具をねるとそこにシベリヤが浮かび上がってくる。絵にしようと思って絵にするのではない。絵はすでにそこにある」「シベリヤを描きながら、私はもう一度シベリヤを体験している」(香月泰男『私のシベリヤ』)
シベリア・シリーズ作品の隣には香月自身の解説文が添えられており、作品の内容を理解し深く味わうことができます。
極限まで削ぎ落とした形態、(絵具に木炭を混ぜた)吸い込まれるような重厚な黒…解説文を読みながら作品一点一点と向き合うと、香月の痛み、鎮魂と望郷の思いが胸にずしりと響きます。
その中でも特に心に残った作品が《1945》
解説文とともにご紹介いたします。
香月泰男《1945》1959年
そして最後に、奥様の婦美子さんの著書『夫の右手』から。
主人は、シベリアでものすごくつらかったような話は、あまり家ではしませんでした。話したくないんでしょう。あるとき息子が、工作でグライダーを作るのに、主人が作らせなかったことがあります。「お前たちがそんな物を作るからまた戦争になる」と言って、材料をどうしても買ってやりませんでした。
そして「戦争は望郷の念のほうがつらいんだよ」と言いました。
主人は絵で語るしかなかったのではないでしょうか。〈シベリヤ・シリーズ〉は黙って描いていました。
(『夫の右手 –画家香月泰男に寄り添って–』香月婦美子著)
戦争を知らない世代に作品をとおして戦争の恐ろしさ・惨さを伝え続ける力強い「シベリア・シリーズ」。
その存在は、今を生きる私たちにとって、改めて貴重だと感じた展覧会でした。
次回は、「死」と向き合った香月があたたかい眼差しで描いた「生」の作品をご紹介いたします。
(文/青龍堂 小川)
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