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執筆者の写真青龍堂 小川

鉄斎と菊斎


富岡鉄斎「硯匣」


「鉄斎の器玩(きがん)」と呼ばれる道具類は、名工達との合作も多く、この硯箱も富岡鉄斎が絵付けをしたものです。おおらかな明るい色彩で側面まで描いています。


大正5年、鉄斎81歳の作品です。


本作は共箱に収められていますが

蓋の裏には「秋古堂 菊斎 作之」と書かれています。


この菊斎とは、中島菊斎(1874〜1935)

(菊斎は号で屋号が秋古堂)鉄斎との合作により、名指物師(※指物師:家具職人。箱・机・タンスなど板を差合わせて作る木工品の専門職人)として知られています。


鉄斎の息子謙蔵の一つ歳下で、大正天皇大典記念京都博覧会で金賞を受賞するなどの確かな腕や、無口で真面目な人柄、茶室を持ち、茶の湯も嗜む菊斎を高く評価し深い信頼を寄せ、次第に合作を楽しむようになりました。


特に謙蔵亡き後、菊斎は富岡家を往来し鉄斎の用を手伝ったり、妻共々家族ぐるみで親しくしていました。残された書簡から木材やお酒など様々なものを贈り合う様子も伺えます。菊斎は鉄斎を親同様に慕い、尊敬し、鉄斎の没後は自身で位牌を作り自宅で祀っていたそうです。

まるで息子のように気心が知れた名工菊斎の造った立体に向き合うと、鉄斎は創作意欲や想像力を掻き立てられたのでしょう。自由奔放で色彩豊かな作品を数多く残しています。異なる個性が重なりあい、新たな命が吹き込まれた芸術作品は書画とは違った面白さや味わいがあります。二人の信頼関係を思い作品に向き合うと心がほっとあたたまるような感覚になります。


富岡鉄斎《保昌赴丹図》と共に



(文/青龍堂 小川)


富岡鉄斎「硯匣」

共箱 

縦25.5×幅19.5×高11.5 cm

大阪美術倶楽部鑑定委員会鑑定書





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